もうすぐ父の七回忌。
もうそんなに経つのか。
どれだけ時間が経っても私は変われないと思っていたけど、実際に時間が経ってみると環境も考え方も人間関係も数年前と全然違う。
大人になってからの人間関係で深く付き合える人はもうできないと確信に近い感覚を持っていたのに、去年出逢った母くらいの年齢の人とは普段言えないような話が出来るありがたい関係だし、これまた去年出逢った5つ下の女の子はちょっときついけど割と好き。
憎しみ合っていた母との関係も今は穏やかで楽しいものになっている。
考えてみれば父が亡くなったことをきっかけにすごい速さでいろんなことが変わった。結果的にほとんどがいい方向に。
私の中で父の死は転機だったんだな。こんなに平和な世界があるなんて思っていなかった。
今は日常の中で嬉しさや楽しさを感じることが増えている。
父はアコール中毒で、母に対しては今の言葉を遣うとモラハラやDVを日常的にする人だった。兄と私に対しても同じようなかんじで、それぞれ接し方は違ったけど普通の家庭では起こらないことが起こる異常な日々だったことに後々気付いた。
母はうつ病で毎日たくさんの薬を飲んでずっと突っ伏していて兄は家にあまりおらず私は学校に行けたり行けなかったりで、そんでこの三人の関係も歪で。高校生くらいから抗不安薬と睡眠薬を私も服用する生活になり、って書いてて暗すぎてなんだかなあと思うけども、薬を飲まなくてもなんとかなるようになってからも二十代半ばくらいまでは友達に相談することも出来ず張り詰めていた。
今ふつうに喜怒哀楽を感じながら過ごしている毎日が本当に快適。
兄とは絶縁状態だけど、SNSやネットの記事を読んでいると私みたいな人は割と居るし育った環境に問題がある人も言わないだけでその辺に居たりするんだなと思うとかなり気持ちが楽になった。
周りの同年代に比べると私は何も持っていないけどそれでも今生きているから自分の中では合格点だと思っている。神様やご先祖様が見てくれていたらきっとみんな合格点をくれると思う。
ストレスを感じやすかったり不安になったり異性がこわくなったりでうまくやれないことも、育った環境を考えればそりゃそうなるわとも思うし。全部環境のせいなんじゃないかなと本気で思う。それでも生きてる私はすごいんじゃないかとも本気で思う。
同い年のいとこが会社を経営していて、他にも有名なお笑いの大会に出ていたり劇団で活動をして楽しそうな毎日を送っているけれど、多分私が今友達と喋ったり母と散歩に行ったりおいしいものを食べたりした時に感じる嬉しさや楽しさはいとこが今感じている嬉しさや楽しさと感情のレベルでは同じだと思う。
精神的に安定していられる環境は今私に新鮮な感情を与えてくれて、それはきっと家庭環境のせいだしそのおかげなんだろう。
この環境でよかったとは言えないけど今が穏やかだからパートナーを見つけたいと思えるようになって、変わっていくことに新鮮さと明るさを感じるようになった。生きていて良かったと思うし寿命がくるまではずっと生きていたい。
ってここまで書いて読み返してみたらなんかありきたりな自分語りでちょっとばかみたいだな。今までのですます調でもないし恥ずかしいけど心の中の煉獄さんは私に優しい目を向けてくれています。
今年は父の七回忌だけど法要はしないことになりました。
コロナのこともあるけどお墓の場所を知っている私と母の二人ともが七回忌のことを忘れていたから。
お墓参りには三カ月に一度くらいの頻度で行くけど七回忌はすっかり忘れていた。きっとまだ間に合うんだけど母にその気はなかった。そのことに対して少しもやもやしたけど特に何も言わなかった。多分これからも言わない。母がその気だったとしてもそれはそれで気が重くなっていただろうし。
いろんな家族の歴史や形がある中でうちもその中のひとつというだけで良くも悪くもなく特別なものでもない。種類的にはきっとハードモード側だと思うけど、今生きていられるのは父のおかげなので代々のご先祖様同様に感謝しているし、毎日に感情を持って過ごしていけるのは父が亡くなったからなのでそれも感謝している。
法要はしないけど、命日には父の平穏と日々の感謝の気持ちを込めて手を合わせようと思う。