ブログを初めたり気になる本を読んだり、自分を見つめるような時間を過ごしていて思ってきたことがあります。
ノンセクシャルやストレスを抱えやすいこと、人間関係が壊滅的に苦手なこと、それが仕事に影響を及ぼすこと等は何かの結果そうなっているだけであって、今私が向き合うべきところは同じノンセクシャルの人との出会いを求めることやストレスを抱えないようにすることではなく、なぜそうなったのか思い出すことじゃないかなと。
うっすら思ってきたことを、見ないふりするんじゃなくちゃんと見ていくこと。今の私にはやっぱりその作業が大事なんだと思う。
家族のことです。
昔のしんどかった記憶を思い出して、これもまたしんどいけどそれを受け入れること。それが出来たら今よりもかなり楽になれるんじゃないかな。
ある程度受け入れられているつもりだったけど、恥ずかしさや惨めさや悲しさやそんな自分を見たくないというプライドで認められなかったことがまだある。言葉にしたり文字にするのはもちろん、私には過ごしてきた日常だったというだけでそれが社会的にどのようなものなのか繋げたこともなかったけど、繋げて過去を見てみると、私はきっと父からの性的虐待の被害者にあたるんじゃないかと思う。
すごいパワーワード。
ずしんとくる。
行為は無かったけれど小学生になる前から触られていて、当時は何が起きているかわからなかった。いやな空間という感覚はあってもどうしていいのかわからなくて、初めてそれがあった時その混乱を母に話したけど、母は触ってないと言う父を信じたのかそういうことにしておきたかったのかすぐに話は終わった。それからは誰にも言えなかった。
昔診療内科に通っていた時も話せていなくて、カウンセリングでそういった話題をされるようになってから行くのをやめてしまった。多分まだ向き合う余裕がなかったから無意識に拒否していたんだと思う。今の今まで誰にも話していないし文字に表したのもこれが初めて。
こわいです。この日記短いのに何回も書き直してる。
今は人から性の対象に見られることが苦痛で、もう無理にがんばろうとするのはやめています。体の関係をもたなくても一緒に過ごせる相手がいい。だけど母親との関係が良くなってきた今、子供に対しての憧れも出てきてこの矛盾した気持をどうしたらいいのかわからずにいます。
父から行為そのものは無かったので性虐待という言葉にも今の男性が苦手なことへも繋げたことがなかったけれど(うすうすは思っていたけど)、これはやっぱり性虐待とその結果にあてはまるんだと思う。
ただ単に機能不全家庭で育ったからこうなってしまって苦しいと思っていたらきっと前に進めない気がする。頭のおかしい両親の元で異常な環境で生きてきたことを受け止めれば、普通の人も世の中には居て、自分が幸せになるにはその普通の人と人間関係を築いていけばいいと理解すればいいんじゃないかと思うわけです。
ただこれがなかなかできない。男の人はみんな私を精神的にも肉体的にも支配してぼろぼろになったら捨てる生き物のように見えるし、女の人は結局私を否定して追い詰めてくるのに弱い人だから助けてあげなきゃいけない生き物のように見える。だけど実際は男女問わず、与えたり与えられたりしながら健全な関係を築けて安心できる空間を一緒に作れる人はきっとたくさん居る。私は普通の人とこの幸せを作っていけると思えるようになればいい気がする。
もっと苦しい思いをしている人もいるから私が軽々しく自分が被害者と考えていいのかとも考えたけど、穏やかな生活を送っているとはいえ今も苦しいししんどいのは本当だからそこを受け止めたい。
何回も言うけど、惨めだし悲しいし恥ずかしいから人に話したりは出来そうにないけど、ここは自分のための場所だから書いてもいい。
信頼してる友達に話せるようになれば少し楽になれるのかもしれないとも思うけど、こんなことまで知られたくない気持もあるからそれはそれで置いておく。
これから少しずつまた自分を見つめていこうと思います。